前回に引き続き、私が推し活やエンタメを「宗教的だ」と感じた経験や出来事について書いていきます。
自分を重ね合わせるファン達
子供の頃から、芸能人やスポーツ選手に憧れる人は多いと思います。私もその一人です。
スポーツ選手やアイドルのファンには、純粋に応援する人もいれば、強い憧れを抱く人もいます。
その中で、私が特に危険だと感じるのが、輝いている存在に「自分を重ね合わせる」タイプのファンです。
私は野球やサッカー観戦が大好きなのですが、ファンの中には好きな選手に自分を投影したり、応援しているチームの一員でいたいと感じる人も少なくありません。
私自身も、好きなチームの優勝を自分のことのように喜んでいた時期があり、その気持ちはよく分かります。
しかし、自己投影が強くなりすぎると、結果が出なかった時のダメージが非常に大きくなります。
実際、私も応援していたチームが全く勝てなかった暗黒時代には、「なんで勝てないんだよ」「もっとこうすればいいのに」と、必要以上に感情的になっていました(笑)。
推しチームが負けると、自分自身まで否定されたような気分になっていたのです。
今振り返れば、その原因は間違いなく、チームに自分を重ね合わせすぎていたからだと思います。
こうしたファンにありがちなのは、当事者ではないにも関わらず
「こうしたらもっと良くなるのに」「自分ならこうする」といった目線を持ってしまうことです。
自分を投影しているからこそ、それが楽しく感じてしまう面もあります。
スポーツ観戦やライブを楽しむこと自体は素晴らしいことですが、舞台に立つ人に自分の理想を背負わせすぎると、楽しむはずのエンタメが苦しさに変わってしまいます。
勝ち負けがはっきりするスポーツだからこそ、結果も含めて楽しめる距離感が理想なのではないでしょうか。
近くなった距離
パート1でも触れましたが、私はアイドルの握手会でアルバイトをした経験があります。
その時に強く感じたのが、「思っている以上にアイドルとファンの距離が近い」ということでした。
握手会に加え、その日はチェキ会も行われており、ファンが触れようと思えば触れられてしまう距離に、好きなアイドルがいる状況でした。
もちろん、ファンが触れないようにするのが私たちスタッフの仕事でしたし、幸いにも良識ある方ばかりでトラブルは起きませんでした。
それでも、「これはかなり危うい構造だな」と感じたのを覚えています。
商売だと言われてしまえばそれまでですが、人の感情を扱う仕事だからこそ、危うさも内包しているのだと思います。
さらに近年では、SNSの普及により、有名人に直接ダイレクトメッセージを送ることも可能になりました。
距離が縮まった一方で、誹謗中傷や一方的なメッセージを簡単に送れてしまう環境も生まれています。
先ほど触れた「自分を重ね合わせる」人たちが、たとえ本人のためを思って発した言葉であっても、当事者からすれば余計なお世話でしかない場合も多いでしょう。
信じすぎないために
エンターテイメントや推し活は、人生を潤し、時には人を救ってくれる大切な存在です。
だからこそ、否定されるべきものではありません。
ただし、傾倒しすぎると、気づかないうちに自分の生活やメンタルを蝕んでしまうこともあります。
個人的には、エンタメはエンタメ、夢は夢だと割り切ることがとても大切だと思っています。
現実と幻想の境界を見失わず、適度な距離感を保つこと。
それが、エンタメや推し活を「救い」ではなく「依存」にしないための鍵なのかもしれません。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。