はじめに

突然ですが、皆さんはどの宗教を信仰していますか?

日本に住む多くの人は、仏教を信仰する家庭で生まれ育っていると思います。
家庭によってはキリスト教やイスラム教など、別の宗教を信じている方もいるでしょう。

一方で、現代を生きる私たち、特に若い世代にとって「宗教」はどこか遠い存在になっているようにも感じます。
何かを強く信仰して生きている、という感覚を持つ人は少ないのではないでしょうか。

——しかし。

そんな宗教に関心の薄い現代人であっても、多くの人が無意識に信じているものがあります。
それが、「推し」です。

数年前から「推し活」という言葉が一般的になり、アイドル、アーティスト、配信者、YouTuber、スポーツ選手など、誰かを応援する文化は完全に社会に定着しました。

少々過激に聞こえるかもしれませんが、私はこの「推し活」を見ていて、ふとこう感じることがあります。

——これ、宗教とかなり似ていないか?

今回は、

  • なぜ私が推し活やエンターテイメントを宗教のように感じたのか
  • そして、現実と幻想の境界線がどこにあるのか

この2点について、私自身の経験を交えながら書いていこうと思います。

誤解のないように言っておきますが、私はエンタメが大好きです。
だからこそ、のめり込みすぎる危うさも見えるようになりました。

少し刺激の強い内容になりますが、最後まで読んでもらえたら嬉しいです。

なぜ宗教のようだと感じたのか

そもそも、私がなぜ推し活やエンターテイメントを宗教のように感じたのか。
理由は大きく分けて3つあります。

① お金を払って楽しむ

これに関しては、ある意味で当然の話かもしれません。

好きなアイドルがいればライブに行く。
好きなアニメキャラがいればグッズを買う。
憧れのスポーツ選手がいれば、試合を観に行く。

今の時代、お金を払わずに楽しめる娯楽のほうが少ないでしょう。

しかし、私が少し怖いと感じるのは、自分の生活を削ってまで推しにお金を注ぎ込んでしまう状態です。

私は以前、あるアイドルの握手会でアルバイトをしたことがあります。
仕事内容は、ファンを誘導したり、チケットをもぎったりする裏方の仕事でした。

そのとき、強烈に印象に残った光景があります。
同じ人が、何周も何周も握手に並び続けるのです。
しかも一人だけではなく、複数の熱烈なファンが、何度も何度もブースに戻ってくる。

私はその様子を見て、心の中でこう思いました。

「この人たちは、どこにそんなお金があるんだろう?」

そして同時に、どこか神にお布施を捧げる信者のようにも見えたのを、今でもはっきり覚えています。

また、別の話ですが、元カノがあるアーティストの熱烈なファンでした。
ドームツアーを遠征して周るほどで、それだけでも相当な出費だったと思います。

さらに、そのアーティストの握手会にも行っていたらしく、ブースに入った瞬間に神々しい光で照らされる演出が用意されていたそうです(笑)。

こうした経験から、私は次第に思うようになりました。

「推し活って、構造的には宗教とかなり似ているんじゃないか?」


② 現実逃避の手段

日本史の授業で習うような大昔、人々がなぜ宗教に縋ったのか。
それは、苦しい現実の中で、それ以外に希望を持てるものがなかったからだと思います。

私は、これは現代の推し活にも通じる部分があると感じています。

仕事がつらい。
人間関係がしんどい。
将来が不安。

そうした現実から、一時的にでも目を逸らせる場所として、エンターテイメントは私たちを強く救ってくれます。

平日は必死に働き、休日は推し活に全力を注ぐ。
その生活そのものが生きがいになっている人も、今は珍しくありません。

それ自体は、決して悪いことではないと思います。
私自身も、エンタメに何度も救われてきました。

ただし——。

現実逃避が行き過ぎると、人は「幻想の中で生きる」ようになってしまいます。

後ほど詳しく書きますが、私が本当に危険だと感じるのは、
エンタメに没頭しすぎるあまり、現実と幻想の区別がつかなくなる瞬間です。


③ ファンの呼称とコミュニティ化

最近では、多くのアイドルやアーティスト、YouTuber、スポーツチームに「ファンの呼称」がつけられています。

人は、どこかのコミュニティに属していると思えるだけで、安心できる生き物です。
同じものを好きな仲間がいる。
その事実だけで、孤独はかなり和らぎます。

しかし、ファンという枠組みが強くなるほど、そこには

  • 内と外の境界線
  • 仲間意識
  • 批判しづらい空気

といったものも同時に生まれていきます。

推しを否定することは、仲間を否定すること。
そんな空気が出来上がったとき、推し活はより宗教的な側面を帯びていくのです。

現実と幻想の区別

エンタメに熱中すること自体は、決して悪いことではありません。
しかし、それが現実と幻想の区別を曖昧にするほど深くなったとき、人は危険な状態に入るのだと思います。

テレビ番組、ライブ、ドラマ、バラエティ。
どのエンターテイメントにも、基本的には「台本」や「演出」が存在します。

それを理解した上で、「これはショーであり、娯楽だ」と割り切れるかどうか。
これが、エンタメに過度に飲み込まれないための重要な分岐点です。

今回は、私が知る限りの
「幻想が崩壊した3つの例」を紹介します。

① 台本が決まっていると暴露されたプロレス

昭和の時代、総合格闘技がまだ存在しなかった頃、
プロレスは「本気で戦う格闘技」として多くの人に信じられていました。

しかし、あるときプロレス団体の元レフェリーが
「プロレスは演技であり、勝ち負けは最初から決まっている」
という内容の本を出版し、すべてを暴露します。

この出来事によって、プロレスから離れたファンも少なくありませんでした。
その後、K-1やPRIDEといった“本物の格闘技”が登場し、プロレスの人気は徐々に下火になっていきます。

私自身もプロレスファンです。
父から「プロレスは台本があるんだぞ」と聞かされたときは、正直かなりショックでした(笑)。

現在でもプロレスは続いていますが、今のファンは
「台本があると分かった上で、それを一つのショーとして楽しんでいる」
人たちがほとんどです。

つまり、幻想を本気で信じていた人ほど、傷つき、離れていったのです。


② 「やらせ」と報じられたテレビ番組

2018年、日本テレビ系列の人気番組
『世界の果てまでイッテQ!』で、やらせ疑惑が報道されました。

週刊文春によって、番組内で紹介された海外の祭りが

  • 実在しない
  • 番組のために作られた

と報じられたのです。

この一件は、テレビ番組における
「演出」と「やらせ」の境界線を巡って、大きな議論を巻き起こしました。

個人的には、
「面白くするための演出があるのは当然では?」
とも思っていました。

ただし、それは最初から視聴者が“演出だと分かっていた場合”に限る話です。

この問題の本質は、「やらせ」そのものよりも、
視聴者が信じていた“リアル”が裏切られたことにあります。


③ アイドルに対する「ガチ恋」

現実と幻想の問題が、最も深刻な形で表れるのが
**アイドルに対する“ガチ恋”**だと私は思っています。

アイドルという存在は、基本的に

  • 男性アイドル → 女性ファン
  • 女性アイドル → 男性ファン

という構図でビジネスモデルが成り立っています。

そのため、熱愛報道が出た瞬間に、
ファンの信頼は一気に崩れ落ちます。

自分の好きなアイドルが、他の誰かの恋人になる。
それを「裏切り」だと感じてしまう気持ちも、正直わかります。

私自身も、応援しているアイドルには
「恋愛してもいいから、せめて隠し通してくれ」
と思ってしまう側の人間です。

でも、冷静に考えなければいけないことがあります。

どれだけお金を払っても、どれだけ好きでも、
アイドルとファンの関係は「客」と「商品」でしかありません。

ファンである私たちは、あくまで“お客”にすぎない。
そこを履き違えた瞬間、現実と幻想の境界線は完全に崩れます。

おわりに(今回はここまで)

まだまだ書き足りないことは山ほどありますが、
かなり長くなってしまったので、今回はここまでにします。

次回は、

  • 自分と演者を重ね合わせるファンについて
  • エンタメとの健全な距離感、線引き

といったテーマについて、踏み込んで書いていく予定です。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
続きも、ぜひ楽しみにしてもらえたら嬉しいです。